足をのばせば…。 8.足をのばせば…。 7つのコース以外にも足利の文化財のみどころは、まだまだたくさんあります。気の向くままにちょっと足をのばしてみませんか。 大川家住宅(国登録・江戸時代末〜明治時代初期)小俣町江戸時代末期から明治時代初期に栄えた元機で、主屋・本蔵・西蔵・旧納屋・選蔵・続蔵・大門など小野建物がその繁栄を今に伝えます。現在は小俣幼児生活団として使用されています。石棒(板倉神社)(県・縄文時代)板倉町神迎祭で知られるこの神社には、全長157cm県内最大級の石棒が保管されています。石棒は縄文時代の子孫繁栄を祈る信仰用具と考えられています、付近の中の目遺跡から出土したものと思われます。善光寺山門(市・江戸時代)松田町松田の谷を東に望む山の中腹に善光寺はあります。山門は高さ7.5mの楼門であり、棟木札に安永6年(1777)に改修されたことが記され、額はこの寺を開山した密山和尚(元文3年(1738)5月19に入寂)の筆によるものであることから18世紀初め頃の建立と推定されます。門の左右には高さ2・02mの阿行・吽行の金剛力士像(仁王像)が安置されています。臥竜院のエドヒガン(市・天然記念物)名草の谷を見下ろす山の中腹、臥竜院の境内に3本あり、一番大きなものは樹齢約200年と推定されています。あまり知られていませんが、シダレザクラはエドヒガンの変種なのです。南氏墓所(市・南北朝時代)名草中町南氏墓所(市・南北朝時代)名草中町 清源寺は南遠江守宗継の開基で、宗継以下一族の墓所がその南東麓にあります。南氏は足利家の重臣で、宗継の時足利尊氏より丸木郷を拝領し、出身地の名をとって名草と改めたとされます。菅田西根遺跡(市・縄文〜古墳時代)菅田町発掘調査により縄文・弥生・古墳時代の住居跡、古墳時代の方形周溝墓跡・水田跡などが出土し、特に水田跡は栃木県下で初めての発見でした。北中学校格闘技場下に古墳時代の水田跡の原寸大模型を展示してあります。 出土遺物は足利市郷土資料展示室に展示してあります。正善寺古墳(市・古墳時代)常見町発掘調査により全長約103m、市内最大の前方後円墳であることがわかりました。後円部南側には全長約7.5mの横穴式石室が開口し、見学することができます。口明塚古墳、海老塚古墳(湮滅)とともに6世紀にこの地を治めていた首長一族の墓と考えられます。 見学の際はお寺に一言おことわりを。徳蔵寺(猿田町)かつての北猿田河岸に近いこの徳蔵時には、河岸の賑わいの面影を残すように数多くの文化財があります。特に注目されるのが、木造五百羅漢像(県指定)です。江戸時代後期に北猿田川岸の河岸問屋萬屋。長吉右ヱ門が奉納されたものといわれています。ほかにも、かな地蔵尊(県・南北朝時代)千庚申塔(県・江戸時代)、愛染明王像(市・江戸時代)などがあります。口明塚古墳(市・古墳時代)山川公園内にあり、発掘調査により直径48m三段築城の円墳であることがわかりました。埋葬施設は横穴式石室で、推定全長8.4m以上、玄室の高さ2.5mもあり県内最大級の規模です。敷地内には海老塚古墳の石室も移築復元されています。入り口のスイッチを押すと石室内はライトアップされ、外からでも石室内を見ることができます。石室内部に入って見学したい場合は事前にご連絡ください。永宝寺古墳(市・古墳時代)小曽根町全長約66m、6世紀の前方後円墳です。 後円部南側には横穴式石室が開口しています。石室内部の見学は永宝寺に連絡を。周辺には浅間山古墳(市・古墳時代 4世紀 前方後円墳)などがあり小曽根古墳群を形成しています。ニホンカワモズク自生地(芋の森神社)(市・天然記念物)南大町この付近は渡良瀬川扇状地の扇端部にあたり、この神社の泉は湧き水が絶えることなく、弘法大師の石芋伝説も伝わってます。この泉では近年大きな発見がありました。「ニホンカワモズク」の発見です。日本でこの種の発見は初めてのため、この名がつけられました。居館跡(市・室町〜戦国時代)高松町90m四方の堀と土塁に囲まれた中世の土豪の居館跡です。館林領主赤井山城守が永禄年間(1588〜1569)に移住したと伝えられてます。個人の邸宅ですので見学は外部からにとどめてください。