1.足利の文化財ダイジェストコース
日本最古の学校史跡足利学校跡や、足利氏の居館跡で足利氏の氏寺である鑁阿寺、近代日本で初めて学術発掘が行われた足利公園古墳群をはじめとして、市街地をまわりながら足利の著名な文化財を訪ねるコース。機神山山頂古墳からは関東平野も一望できます。
JR足利駅→2.6km→草雲美術館→200m→足利公園古墳群→600m→物外軒→800m→西宮長林寺→700m→機神山山頂古墳→200m→織姫神社→1.0km→鑁阿寺→200m→松村記念館→200m→史跡足利学校跡→150m→まちなか遊学館→300m→足利市立美術館→600m→JR足利駅
![幕末から明治時代にかけての日本画家田崎草雲の住まいであった白石山房にあり、草雲の遺品や絵を展示しています。[開]9:00~16:00 [休]月曜日、年末年始、館内整理時 [問]0284-21-3808](https://ashikaga-bunkazaidan.com/wordpress/wp-content/uploads/cache/2020/05/1-1/1568852733.jpg)
草雲美術館(市・明治時代)
幕末から明治時代にかけての日本画家田崎草雲の住まいであった白石山房にあり、草雲の遺品や絵を展示しています。[開]9:00~16:00 [休]月曜日、年末年始、館内整理時 [問]0284-21-3808

足利公園古墳群(市・古墳時代)
足利市街地西の丘陵上にある古墳時代後期(約1400年前)の群集墳です。このうち第1号墳は明治19年(1887)人類学者の坪井正五郎博士が近代日本で初めて古墳の学術発掘を行ったところとして有名です。毎年4月初旬には桜まつりが開かれます。見学随時。

物外軒(市・明治時代)
明治初年頃足利・猿田の河岸問屋、萬屋三代目長四郎三によって建てられた茶室で、その後明治34年(1901)に現在地に移され、庭園と同登録名勝ともに保護されてきました。市街地とは思えない静けさの中で四季折々の美しい景色が楽しめます。4,5,10,11月の日、祝日に無料公開(茶室利用を除く)

西宮長林寺
室町~戦国時代にかけて足利を支配した長尾氏の菩提寺で、笈(国重美・室町時代)、長尾氏歴代墓所(市・室町時代)、長尾景長・憲長・政長像(市・江戸時代)、銅造大日如来坐像(市・江戸時代)等貴重な文化財や田崎草雲の墓地があります。宝物館見学は事前申請。

機神山山頂古墳(市・古墳時代)
機神山織姫山の山頂にあり、全長36m以上の2弾築成の前方後円墳です、後円部の南に開口する横穴式石室をがあります。発掘調査の結果、2段目斜面に山石の葺石があることが確認されました、円筒埴輪群が確認されました。

織姫神社
現在の社殿は織物の町のシンボルとして昭和12年(1937)完成、小林福太郎が宇治平等院鳳凰堂を模して設計したものです。造成工事中に古墳が発見され、その位置の石垣には考古学者後藤守一の記念碑があります。平成26年(2014)には「恋人の聖地」に認定されました

史跡足利氏宅跡(鑁阿寺)(国指定)
足利氏宅跡は平安時代末期から鎌倉時代初期に源姓足利氏2代目足利義兼によって築かれた居館とされています。現在の本堂は、足利尊氏の父・貞氏が正安元年(1229)に再建したもので、全国でも類例の少ない鎌倉時代の禅宗様建築として、平成25年(2013)国宝に指定されました。

松村記念館(国登録・大正時代)
大正14年(1925)に4代松村半兵衛が建てたもので、江戸・明治・大正・昭和期の松村家に伝わる調度・生活用品のほか、当時の文化人・学者などの資料を紹介しています。撮影スタジオとして活用されているほか、ゲストハウスもあります。
見学・利用要問合
0284-41-2626

史跡足利学校
足利学校の創設は諸説があり定かではありまりませんが、室町時代中期、永享11年(1439)に関東管領上杉憲実が僧の快元を招いて第1世庠主(校長)とし、典籍を寄進し学校を再興しました。16世紀が最盛期で、フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も有名な坂東の大学」と海外にも伝えられています。