6.富田の里の文化財を訪ねるコース
富田地区は足利市の一番東にある山と川に恵まれた田園地帯です。田んぼの中にこんもりと見える古墳や、江戸時代の儒学者を輩出した人見家に関する文化財があり、また日光へと続く旧日光例幣使街道も通ることができます。
JR富田駅→200m→東陽院のクロマツ→1.3km→足利のフジ(あしかがフラワーパーク内)・迫間湿地→620m→栗田美術館→1.8km→養老碑→500m→人見家墓所→1.2km→石造勢至菩薩供養塔・石造廻国供養塔・西場の百観音→300m→稲岡観音堂→1.4km→おとか塚→2km→日光例幣使(街)道道標→600m→岡崎山古墳群→1.4km→JR富田駅

東陽院のクロマツ(市・天然記念物)駒場町
この松は、時の領主宮原官五郎義照が、慶長2年(1597)に飢えたものと伝えられ、樹齢推定約400年です。宮原善照は、古河公方の系譜で、徳川家康に仕え、旗本となり、子孫は幕府高家になりました。

足利のフジ県・天然記念物(あしかがフラワーパーク内)
2014年にCNNが選ぶ「世界の夢の旅行先9ヶ所」に日本で唯一選ばれました。樹齢150年におよぶ大藤と四季折々の花が楽しめる「花の楽園」。特に春は600畳敷の藤棚を持つ大藤や、長さ80mもの白藤のトンネル、きばな藤のトンネルなど350本以上の藤が咲き誇り観るものに感動を与えます。
「日本一の足利の三名所」の1つに選定されています。
![昭和50年(1975)に開館された世界最大級の陶磁器美術館です。所蔵品は鍋島色絵岩牡丹文大皿(国・江戸時代)をはじめ、創立者の栗田英男氏が収集した伊万里。柿右衛門。鍋島を中心とする陶磁器コレクションです。
[開]9:00~7:00
[休]月曜日・年末年始
[問]0284-91-1026](https://ashikaga-bunkazaidan.com/wordpress/wp-content/uploads/cache/2020/06/6-3/572152770.jpg)
栗田美術館
昭和50年(1975)に開館された世界最大級の陶磁器美術館です。所蔵品は鍋島色絵岩牡丹文大皿(国・江戸時代)をはじめ、創立者の栗田英男氏が収集した伊万里。柿右衛門。鍋島を中心とする陶磁器コレクションです。
[開]9:00~7:00
[休]月曜日・年末年始
[問]0284-91-1026

養老碑(市・江戸時代)西場町
江戸幕府に仕えた儒学者 人見竹洞の4世の孫鶴川が、宝暦6年(1756)に父の長寿を祝って建てた養老の碑です。碑文には、不幸者の処罰、堕胎、間引き禁止の施策が刻まれています。

人見家墓所(雲龍寺)(江戸時代)西場町
人見氏は江戸時代三代将軍家光によって、西場村に封ぜられました。小野篁を始祖とあおぐ学問の家系で、特に竹洞は「大日本史」の編纂に参画するほど高名な学者でした。
雲龍寺境内北西の山腹に、この竹洞をはじめとする四代の墓があります。